鋼製ペールの生い立ち
鋼製ペールは、アメリカで1930年代に開発され、ヨーロッパ各国で流通し、日本にも1950年代に輸入されるようになりました。
我が国で生産が開始されたのは、朝鮮戦争時(1950~1953年)です。当時、アメリカ在日駐留軍の補給物資の輸送、貯蔵用容器として、いわゆる“JAN-P缶”(Joint Army Navy Package)が発注され大量に使用されました。
鋼製ペールは堅牢なうえ、きれいな印刷が施されていた点が注目され、自動車用高級潤滑油をはじめ色々な製品が鋼製ペールで使用されるようになりました。
また、1955(昭和30)年代後半に労働力不足から、充填・梱包作業の省力化要請にうまく合致したこと、またメートル法の導入が進められたことにより、5ガロン(18L)缶から20L缶への移行が進み、これも追風となりました。
日本経済が高度成長期に入ると、消費者に中身が高級品というイメージを与える鋼製ペールの需要が拡大し、特に高級潤滑油の容器として需要が急速に伸びました。その後、1966(昭和41)年頃からは鋼製ペールの自動生産ラインが導入されはじめ、大量生産が可能になり、時代の諸要請に応える現在のT型(テーパ型)鋼製ペールが製造されるようになりました。このときに胴体の成形方法は、従来とは大きく改革しエキスパンダー機による18本のセグメントにより胴径を約5%拡張成形する方法になりました。またイヤー溶接、取っ手(つる)装着、漏洩試験も自動化されました。1967(昭和42)年5月1日にペール缶(当時の名称)のJISが制定されて、製品の規格が統一され、品質に関して諸規制が確立しました。用途も石油以外に、化学製品、建材関係、塗料またキャラクターを印刷したファンシー缶などに拡大し、今日に至っています。
2022(令和5)年度の生産量は1,812万本になっています。