ドラム缶の社会への貢献
ナホトカ号海難・重油流出事故とドラム缶
1997年(平成9年)1月2日、島根県沖の日本海でロシア船籍のタンカー「ナホトカ」(1万3,157トン)が浸水し、同船に積まれていた重油約1万9,000トンの一部が流出しました。その後、船首は福井県三国町沖に漂着しましたが、船体は島根県沖の海底2,000メートルに沈みました。この重油流出事故は、日本海沿岸7府県に予想をはるかに上回る大きな被害を与えました。
「海上に漂流した重油の回収は困難だが、漂着した重油はかなり高い割合で回収できる」との専門家の指摘によって、被害地域の海岸では地元民やボランティアによる人海戦術が展開されました。
そのような状況下、ドラム缶工業会に対して通商産業省製鉄課(現・経済産業省鉄鋼課)から、 流出重油回収容器として200Lドラム缶(鋼製)の緊急出荷要請がありました。ドラム缶工業会では直ちにドラム缶の支援策を決定し、各会員工場のオープンドラム缶の供給余力を調査して、出荷要請に対応できる体制をとり、併せて需要業界団体の石油連盟および日本化学工業協会に対しても、ドラム缶の供給要請があれば協力する旨を連絡しました。
その後流出重油被害はさらに拡大し、被害府県の災害対策本部からもオープンドラム缶の緊急出荷要請が相次ぎました。各ドラム缶メーカーとも生産のみならず、指定された時間・場所に大量に届けるという輸送面でも苦労を強いられましたが、ドラム缶工業会は、会員各社の協力を得て、同年2月末までに合計約3万5,000本のオープンドラム缶を被害各地に出荷しました。このなかには、会員5社が4府県に無償提供した約3,500本も含まれています。
後日、内閣総理大臣からドラム缶工業会へ表彰状が授与されました。
数ある回収容器の中で、200Lドラム缶の需要が最も高かったのは、運びやすく、取り扱いも便利で、そのうえ、強度もあるという容器としての「利便性」と「有用性」が改めて見直され、評価された結果といえます。
【東日本大震災とドラム缶】
2011年(平成23年)3月11日、東日本大震災が発生しました。海岸沿いのガソリンスタンドは津波によって破壊又は浸水するなどして、設備が使用不能となりました。また、タンクローリーは津波によって流されるなどして不足し、さらに東北地方に立地する油槽所のほとんどが停電によりポンプが使用できなくなり、出荷停止となりました。これらを主な原因として、被災地における燃料油の供給が途絶しました。
ドラム缶工業会は、かかる状況を踏まえ、東日本大震災発生後、速やかに200Lドラム缶5,000本の無償提供を決定し、実行しました。無償供与した5,000本のうち、1,950本については、同年3月末から4月上旬にかけて、石油連盟が被災3県(岩手県、宮城県、福島県)に灯油または軽油を提供する際に使用されました。また、この他無償提供した430本が被災地への燃料油輸送に使用されました。会員各社の協力を得て、冬季に被災者が避難所等で過ごす中、200Lドラム缶の供与によって燃料油の供給に貢献できました。同年5月に、経済産業大臣並びに被災者生活支援特別対策本部長から、ドラム缶工業会へ感謝状が贈呈されました。